運慶展


2017/12/12

保健管理センター長の一言【運慶展】

 先日、東京国立博物館で開催されていた興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」に行きました(図1)。運慶作あるいはその可能性が高いと考えられている作品は31体とされていて、そのうちの21体が結集していました(図2)。さらに、運慶の父・康慶や息子、弟子たちの作品も展示されていました。
 運慶は「玉眼の達人」と言われました。玉眼とは、水晶をレンズのように薄く削り、瞳や血管を色づけて、仏像の顔の内側からはめ込む手法です。目が輝きを得て、まさに生きているかのような印象を与えることができます。運慶の最高傑作と言われている興福寺北円堂・「無著・世親菩薩立像」(図2b下段。右が無著、左が世親)、さらに代表作である金剛峯寺・「八大童子立像」(図2b中段)、願成就院・「毘沙門天立像」(図2a下段左)にも玉眼が使われています。運慶の活躍した時代は、平安時代末期から鎌倉時代初期で、貴族中心の時代から武士が台頭する時代に変わった頃です。この頃は激しい天候不順がつづき、平均寿命は24歳にまで落ち込んだとされています。また、農作物がほとんどとれず、人の肉を食べたり、親が子どもを川に捨てたりすることもあったようです。おそらく、平安時代と違い極楽浄土を夢見て暮らすような余裕もなくなってきたのではないかと思われます。そんな背景の中、玉眼を使って、まるで生きていて今にも動き出し語りかけてくるかのような仏像を作りました。運慶は、仏はいつも人々が無病息災で暮らせるように傍で見守ってくれていると、参拝する人々に安らぎを伝えるような仏像を作りたかったのではないかと思われます。
 運慶はときには玉眼を使わない手法で仏像をつくっています。今回の運慶展に展示されていた興福寺南円堂・「四天王立像」(作者不明。運慶作の可能性が高いとされています。)には玉眼は使われてないです。その訳はいろいろ言われていますが、私にはわかりません。運慶最晩年の作とされている称名寺光明院・大威徳明王坐像には得意の玉眼が使われていて、小ぶりながらみごとに慶派作品の特徴をたたえているかのようです。800年の時空を超えても、鋭い眼差しをして私たちを見守ってくれているような感じがします。運慶とは、祈りの美を変えた稀代の仏師だったような気がしました。

図1 会場入口の看板
図2 オリジナルグッズのクリアファイル。図2a、2bの合計22体が今回展示されました。図2cは金剛峯寺・「八大童子立像」の一つの制多迦童子です。私はこの仏像が一番気に入っています。
図3 運慶学園の学生証
図4 運慶学園の卒業証書

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図1                    図2a

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図2b                                                      図2c

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図3                      図4