特集 しまねの仕事

地域に根ざした石見発のクラフトビール
業界に革命を起こした
驚きの醸造法とは?

株式会社 石見麦酒

最近、よく耳にする「クラフトビール」とは、小規模な醸造所で造られる個性豊かなビールのことで、全国各地で地域の特色を生かした様々なクラフトビールが造られています。大手とは違う個性的な味わいを楽しむ人も年々増えてきており、「石見麦酒」も島根県でクラフトビールを造る醸造所の一つです。県内で作られるフルーツなどを原材料として使用し、次々と新しいビールを生産しています。一番の特徴はなんと言っても「石見式醸造方式」と呼ばれる小ロット生産を可能にしたオリジナルの醸造方法です。
石見麦酒のブルワリー(ビールの醸造所)があるのは、県西部の江津市、キャンプや温泉が楽しめるリゾート施設「風の国」の敷地内にあります。本社の一角にあるビールバーで、工場長の山口巌雄(やまぐち いつお)さんにお話を伺いました。

広島出身の山口さんが島根で起業された経緯を教えてください。

山口

私は生まれも育ちも広島で、実家は祖父の代から家具屋を営んでいました。婚礼家具の製造業で、工場は島根県浜田市にありました。

高校を卒業後、進学先の信州大学農学部では発酵を学びました。専門はキノコ、菌類で、大学院時代にはその知識を活かし、味噌づくりやキノコ栽培が手軽にできるキットを仲間数人で作り、ウェブで紹介・販売したりと学生ベンチャーのようなことをしていました。最近はホームセンターなどでも同種のキットを見かけますが、当時はまだ珍しく、また通販サイトにしても、今のように一般的でない時代でした。

発酵や醸造について学ぶ中で日本酒に魅力を感じ、将来は杜氏になりたいと、酒造会社を志望しましたが、当時は就職氷河期ということもあり、思うように就職できませんでした。そんな中、先程お話した味噌やキノコの栽培キットを、大手の味噌メーカー「マルコメ」の人事担当者がたまたま見つけて興味を持ってくださり、それがご縁でマルコメさんに就職することになりました。

そこで何年か勤めていましたが、実家の家業が経営不振のため、私が戻って立て直すことになり、工場のある浜田市に移り住みました。マルコメでは、商品開発や設備設計といった研究開発の第一線に携わっていて楽しかったので、後ろ髪を引かれる思いはありました(笑)

クラフトビールを始めたきっかけを教えてください。

山口

鳥取の智頭町でクラフトビールとパンの店「タルマーリー」を経営される渡邉さんとの出会いがきっかけです。江津市で渡邉さんの講演会があり、その中でクラフトビールの話をされ、ものすごく興味が湧きました。講演会が終わってすぐ渡邉さんのところにクラフトビールのことを聞きに行ったら、全てオープンに教えてくれたんですね。自分にもできるかもしれない!と思い、早速クラフトビールについてあれこれ調べました。

その頃、同じようにクラフトビールづくりを目指す方たちとの交流があり、その中の一人と話している時に、ビールを温度管理する冷蔵庫は四角なのに、そこにはめ込むタンクが丸だと効率が悪いよね、という話になったんです。その時、彼が「ポリ袋でつくればいいじゃない」って言うから「それだ!」ってなって(笑)そのアイディアをもらって、早速ポリ袋を作ってくれるメーカーを探しました。以前に仕事で繋がりのあった袋メーカーに問い合わせたのですが、なかなか理解が得られず、大手にはみんな断られました。唯一話を聞いてくれたのが、松江市の「大昌」という梱包製品の会社でした。元々、家業の家具屋で取引があり、ダメ元で聞いてみたところ「それならうちで作りますよ」と言っていただき、ポリ袋での醸造が実現しました。

ポリ袋を使用した醸造法はビールでは初めてではないでしょうか。味噌はポリ袋で作るので、私にとっては当たり前の技術をビールに応用しただけです(笑)温度管理などの周辺設備も、専用の機器を買わなくても、インターネットで手に入るような安価なもので代用が可能なため、タンクをポリ袋にすることで、従来、何百万とかかっていた設備投資が数十万で実現できるわけです。

タルマーリーの渡邉さんとの出会い、学生時代の発酵の知識や味噌メーカーでの経験、そして仲間からのアイディア、たくさんの人の力と経験で、「石見式醸造方式」が完成しました。

その後、すぐに醸造を始めたのでしょうか?

山口

いいえ、すぐにはできませんでした。実は当初、広島でクラフトビールを造ろうと思っていました。ですが前例がないので、この醸造法がなかなか理解してもらえない面もありました。理論上は造れる確信がありましたが、ビールは免許制なので許可がおりないことには試しに造ることができないため、実現が難しかったです。

そんな時、知人に勧められたのが「江津市ビジネスプランコンテスト」です。これは江津市での様々な地域課題に即したビジネスプランを提案するコンテストで、私自身、面白い取り組みだなと第1回目から注目していました。江津には酒蔵がないので、地酒のない土地でなら実現できるかもと思い、第5回目のコンテストに参加して、大賞を受賞しました。その後、「ごうぎん起業家大賞」にも参加し、そこでも最優秀賞をいただきました。メディアにも取り上げていただき、ポリ袋を使った醸造免許も取得することができ、江津市の地場産業センターの一角で、ブルワリーを始めました。それはやはり江津市さんのサポートの力が大きく、地方だからできたことだと思います。都会では実現できていなかったかもしれません。

誰もやっていないことに挑戦するのは勇気がいります。誰かがやっていることは、失敗してもその人の真似をして乗り越えられますが、誰もやっていないことは、乗り越え方も自分で考えないといけませんから。

原材料に地元の素材を使う点もユニークですね。

山口

地方で商品を展開するためには、生産者との繋がりも大切です。例えば農家さんが持ってきてくれた夏みかんでビールをつくれば、できたビールを持っていく。そうすると、農家さんは「ウチの夏みかんが入って」と、周りにビールを紹介してくれます(笑) 他にも、例えば津和野町でシークワーサーがつくられていますが、地元の人はシークワーサーの売り方が分からなくて無駄にしていたそうです。そこでビールを介してシークワーサーが知られ、レストランなどで取り引きされるようになれば、新たな需要が生まれます。

隠岐の島町の八朔や、しじみのビールも造りました。これで造ってと言われたら、一見合わなそうなものでも、基本的には断らないようにしています。これまで400〜500種類は造ったでしょうか。少ないロットで生産できる強みでもあります。

地ビールの多くは、原料となる麦芽やホップを海外から輸入して生産しています。じゃあ「地」は何かと言うと、水なんですね。それでは面白くない。せっかく地ビールというなら地元の素材でアクセントになるものを入れて、ローカルなビールを謳ったり、普通では造らないようなビールにチャレンジしたいですよね。それによって地域の人同士を繋いだり、経済を回すことができる。それこそが本当の地ビールではないかと、業界に対して提案をしていきたいんです。

「石見式醸造方式」は特許を取られなかったのでしょうか?

山口

特許は取っていません。教えてくれと言われればいつでも教えますし、研修も受け入れています。ビール業界はとてもオープンな業界で、惜し気もなくレシピを教えてくれます。私が勉強のためにブルワリーを巡っていた時も親切に教えてもらったので、その恩返しをしたい思いもあります。醸造技術は日進月歩の世界なので、より良い方法を学ぶことで、日々進化していきます。隠す人には教えてくれないので、こちらもオープンにする。当然、自分の技術を越えられる恐怖心もあるので、常に学び続けないといけない。だから私の会社は守るところにお金をかけず、新技術の開発にお金をかけるため、特許は取得せず、全てオープンにしています。

今、全国でブルワリーが450社ぐらいあり、その約1割にあたる40社以上が、石見式醸造方式をとっています。どこも前述の大昌さんのポリ袋を使っていて、うちが代理店として袋も各ブルワリーに卸しています。研修は無償で受け入れていますが、泊りがけだと地域の宿泊施設を利用してもらえます。そんな風に、関わる人みんなで地域経済を循環させる仕組みを考えています。

新入生に向けてメッセージをお願いします。

山口

人生、何一つ無駄なことはないということでしょうか。私は第1志望の就職先ではなかったものの、そこで学んだ技術や人間関係にずいぶん助けられ、今こうしてビジネスができています。だからどんな状況下に置かれても、一生懸命仕事をしながら、色んな人間関係を築いてほしいです。大変だと思うことにも、むしろ大変なことにこそ、無駄なことはありません。私も前職での知識がなければ、ポリ袋の話なんてスルーしていたと思います(笑)いつ、その繋がりが活きてくるか分かりませんし、常にアンテナを張って、人との繋がりを大切にしてほしいですね。

これまで誰も考えつかなかったような発想で生み出された「石見式醸造方式」は、山口さんの経験や人脈の賜物だとよく分かるお話でした。自分だけでなく、携わる人たちみんなが一緒に幸せになれるような仕組みを考えられているところが素晴らしいですね。コロナ過で大変な状況下もチャンスと捉え、新製品の開発、工場の移設、オンライン工場見学など、新しい手を打ち続けるポジティブさが、事業成功の秘訣だと感じました。

ありがとうございました。
2021/01/29 C: Akiko Kotsugi PH: Akemi Sano
※新型コロナウィルス感染防止対策(スタッフのマスク着用、アクリル板の設置等)を行い取材しました。

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