特集 しまねの仕事

鉱山跡の町を再び元気に!
故郷への想いとともに歩んだ
中村ブレイスの軌跡

中村ブレイス株式会社

かつて世界経済を動かすほどの銀が産出され、鉱山町として栄えた石見銀山の大森地区。2007年に世界遺産に登録されて以降はその名が全国に知られるところとなり、歴史を今に伝える鉱山跡や大森のノスタルジックな町並みには、日々多くの人が訪れています。
そんな大森の町で、義肢装具の製作会社を営む中村ブレイス。高い技術をもって精巧な義肢装具を生産するほか、大森に残る空き家や古民家の改修といった町の再生事業に長きに渡り取り組んできました。
その道のりについて伺うべく大森町の本社を訪ね、中村ブレイスの専務取締役である中村哲郎(なかむら てつろう)さんと、義肢装具士の安東侑香(あんどう ゆか)さんに、会社の事業内容や町並みの再生事業についてお話を伺いました。

事業内容でもある義肢装具とは具体的にどのようなものですか?

中村

義肢装具というのは義肢と装具に分かれます。義肢とは不慮の事故や病気などで失った身体の一部の代わりとなる義手や義足などのことです。装具は身体に何か障害を負った時などに、機能の回復を助けるもの、例えば腰や関節のサポーターや足底のインソールなどの事を言います。医師の処方の基、オーダーメイドやレディーメイドなどたくさんの種類があります。

創業の経緯を教えてください。

中村

中村ブレイスは私の父であり現会長である中村俊郎が1974年に創業しました。会長はこの町の生まれで、高校卒業後、地元の病院に勤めていた姉から義肢装具という職業を紹介され、京都の老舗義肢装具メーカーに就職しました。

その会社で働きながら大阪の大学にも通っていました。大学卒業後には義肢装具の最先端の技術を学ぶため、単身アメリカに渡り、現地の会社とメディカルスクールで3年ほど研修を受けました。そして帰国して、この大森の地で創業することを決めたようです。

当時大森の町はかなり衰退していた頃ですよね。そういった場所で事業を始めるのは大変だったのではないでしょうか?

中村

そうですね、戻ってきた当時は町から若い人がどんどん流出していって、まさにゴーストタウンと形容されるような状態だったようです。ですから周りの人たちには、こんな山の中でどうやって仕事をしていくのかとずいぶん心配されたようです。

会長は幼い頃に会長の父から、石見銀山の歴史を色々聞かされていたといいます。大航海時代には銀を求めて世界中の人がこの地に集まり、賑わっていたこと。その故郷がこのまま衰退していくのは見るに耐えなかったんでしょう。ですから自分が学んできた義肢装具の技術を使って、石見銀山が栄えていた時代のように町を元気にしたいという強い意志があったようです。

とはいえ、このあたりには大きな病院もありませんので、創業当初の売り上げは無いに等しいくらいだったといいます。そこで会長は鳥取や広島に出向き、新しい病院を開拓し、オーダーメイド製品の受注を増やしていきました。また同時にオリジナル装具の開発、製造、販売を行い、全国の同業者に卸す事業も始めました。それから順調に売上も伸びていきました。

町の古民家再生をはじめたのはいつ頃からですか?

中村

売上が安定してきた1980年代頃からですね。そこから年に1軒くらいのペースで空き家を買い取って改修していきました。現時点で63軒再生しています。最初は住居などに改修することが多かったのですが、途中からオペラハウスや迎賓館兼資料館といった文化施設に改修することも増えました。ほかにも銀製品のお土産店、レストラン、パン屋さん、宿泊施設などに改修し、地元の方に貸し出しています。

今進めているのは県立大学とのコラボレーションで、町中にある旧家を図書館に改修しようという計画です。地元の人はもちろん、学生や観光客の方にも利用してもらえるようなものにしたいと思っています。今楽しみにしているものの一つですね。

世界遺産への登録にも、ずいぶん尽力されたようですね。

中村

会長は島根県の教育委員長をしていたので、世界遺産へ向けての旗振り役をしていました。世界遺産になった直後は年間80万人くらいの人が訪れていましたね。だれも出歩かないようなゴーストタウンだったとは思えないような光景でした。今はかなり街並みも整備され、芸術家の方や音楽家の方も増え、これからは芸術家の集う街になっていくように思います。

また世界遺産に登録された翌年には「石見銀山文化賞」を創設いたしまして、石見銀山に携わる研究ですとか、貢献された団体を独自に選んで表彰させていただいております。

経営の上で大切にされていること、また今後の目標を教えてください。

中村

「THINK」というのが中村ブレイスの社是です。患者さん一人一人と向き合い、患者さんことを考え、より良いものを作っていくというのが私たちの仕事です。深く考えなければ、喜んでもらえるもの、役立つものは作れませんので、「THINK」という社是を社員みんなで共有して、日々打ち込んでいます。また、先ほどお話した古民家再生も地域貢献という経営理念に基づき行っています。

義肢装具というのは作って終わりではなく、患者さんとずっとお付き合いが続いていくものなので、これからも健全な経営を心掛け、目の前のことを着実に丁寧に取り組んでいきたいと思っています。

新入生に向けてメッセージをお願いします。

中村

私は大学と専門学校と7年ほど東京で暮らしました。都会の生活が楽しくて、こちらに戻ってくる時は、東京から離れがたく嫌だなぁと思っていたんですが(笑)いざ戻ってくるとそんな気持ちもすぐに吹き飛んで、やっぱり田舎はいいなと思うようになりました。都会は便利と言われますが、その便利さも本当に必要な便利さなのかと、帰ってから思いましたね。特に今コロナ禍で、都会を捨て田舎に戻ったり、移住したりする人が多い現状を見ると、やっぱり田舎のほうが住みやすいかなと。学生の皆さんも、島根に来て住んでみて、意外と住みやすいなと感じられた方も多いのではないでしょうか?地方でしかできないこと、地方ならではのいいことってたくさんあると思います。そういうのを見つけて、ぜひとも島根を盛り上げてもらいたいなと思います。

衰退していた故郷の再生に尽力し、再び町に活気を取り戻された中村ブレイスさんの功績は素晴らしいですね。患者さん一人一人のために考える、「THINK」という社是のもと、社員さんたちはどういう思いで働いているのか。義肢装具士の安東侑香さんにもお話を伺います。

義肢装具士になられたきっかけを教えてください。

安東

ものづくりが好きだったので、誰かのために何かを作るような仕事がしたいという気持ちは元々ありました。高校生の時、たまたま見ていたテレビで、本物そっくりの指の義肢を作っているのを見て、「私も作ってみたい!」と思ったんです。それで義肢装具士という職業を初めて知り、仕事や学校について調べていたら学校の図書館で中村会長の本に出会いました。それを読んで改めて、この職業に就きたいと思いました。

私は大分県の出身で、高校を卒業してから熊本県にある専門学校に行きました。専門学校時代の先生が「中村ブレイスはいいよ」というのを授業で何度も話しておられて、会長の本を読んでいたこともあり、ここに就職したいという思いがすごくありました。両親は、せめて九州の中で就職してほしいという思いがあったようですが、「ダメ元でいいから(中村ブレイスを)受けさせてほしい」と説得しました。福岡と地元にも候補はあったんですが、中村ブレイスは社員に女性が多いというのも、決め手になりました。

縁もゆかりもない島根に来ることに不安はなかったですか?

安東

高校2年生の時に家族旅行で山陰地方を訪れたんですが、その時に石見銀山にも行ったんです。まだ義肢装具士に興味を持つ前でした。だから会長の本を読んだ時は「あ!あそこか」という感じだったんです。本当に偶然でした。

私の実家も田舎なので、旅行で大森の町を歩きながら、なんだか地元に似てるなという印象でした。田舎のほうが空気が澄んでいて水もおいしいですし、地元に似ている安心感もあったので、ここで暮らしていくことには全く抵抗はありませんでした。

会社の先輩方も皆さん優しくて、何でも気軽に質問できますし、社内環境もとても良かったのですぐに慣れました。

普段はどういった仕事をされていますか?

安東

週に2回病院へ行って、整形外科やリハビリテーション科の先生が処方された装具に対しての型取りを行い、それを会社に持ち帰って製作するといった仕事をしています。装具の製作そのものには資格は必要ありませんが、患者さんから型を取るのには義肢装具士の資格が必要です。他の方に取ってきてもらった型で製作をするよりも、できれば自分で行って患者さんと直接話したり、要望を聞いて作りたかったので、義肢装具士の資格を取りました。

やりがいを感じるのはどんな時ですか?

小田

以前、自分で一から型取りをして製作したものを納品した時に、患者さんがとても気に入ってくださって。その3年後くらいに同じ患者さんから、「だいぶ傷んできたのでまた作りたいけど、安東さんにお願いしたい」と言っていただいた時は、ものすごく嬉しかったです。今入社して4年目になりましたが、こうして時々患者さんからいただける感謝の言葉は、ものすごくやりがいになります。

プライベートの過ごし方を教えてください。

安東

高校生の時からやっている弓道を趣味にしていて、休みの日にはよく市内の弓道場に行きます。島根は弓道が盛んで、大田市内にも3つほど弓道場があるんです。今は国体の選考会にも参加させてもらっていて、それに向けて頑張っているところです。大田市弓友会というのもあって、年齢関係なくいろんな方と交流できて楽しいです。大森の人たちも優しくて、町を歩いていると気軽に声をかけてくださったり、温かい町だなと思います。

あと温泉が好きでよく行きます。島根県は美肌の湯が有名なので、玉造温泉や浜田の美又温泉、益田の美都温泉など、東西色々行きました。大分県の温泉は酸性なんですが、こっちはアルカリ性でまた違った気持ち良さがありますね。

これからの目標を教えてください。

安東

まずは患者さん一人一人のために、目の前のことをしっかりやっていって、その積み重ねで少しずつ自分のスキルとして身につけて行きたいと思います。そうして少しずつできることを増やしていって、最終的には大きなスキルを身につけられたらいいなと思います。

誰かの役に立ちたいと選んだ義肢装具士の仕事。足元をしっかり固めながら仕事と向き合う安東さんのお話を聞いて、「THINK」という社是に基づいた良質な製品が、日々この会社から多くの人たちのために作り出されていることが感じられました。

ありがとうございました。
2021/01/22 C: Akiko Kotsugi PH: Akemi Sano
※新型コロナウィルス感染防止対策(スタッフのマスク着用、アクリル板の設置等)を行い取材しました。

Other Link