保健管理センター長のひとこと(2016年5月)

保健管理センター長の一言【森羅万象万物に神宿る】

2016/5/6

浄土思想で信じられている極楽浄土(彼岸)は西方の遙か彼方にあると考えられています。そのため西方浄土とも言います。春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりであるとされています。

 この時期は彼岸と此岸(私たちが住んでいる世界)がもっとも通じやすい日になると考えられ、この時期に先祖供養をするようになったとされています。そして、米などの作物を作ってきた日本人にとって、春の訪れはとても喜ばしく、これからの豊かな実りを願う時期で、秋は豊かな実りに感謝を捧げる時期でもあります。こうした自然に対する感謝や祈りが、ご先祖様に感謝する気持ちにもつながっていると思います。彼岸は夕日信仰が始まりとも言われています。

日本人は朝日、夕日、お月様、山、海、川、木々、虫の音、実った作物や稲穂などの自然そのものを神のように崇拝してきました。日本独特の「森羅万象万物に神宿る。」という考え方です。おそらく、人間の生命に関わると言っても過言ではない“自然の力”に対する敬意と畏怖の気持ちの表れだと思います。実際、私たちは自分の意志とは関係無しに自分がよい方向に導かれていると感じることがあります。おそらく、自分の能力では説明できない神様仏様の御陰ではないかと感謝しています。

小泉八雲著の松江の夜明けからの一日を描いた「神々の国の首都」に「・・・たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。或る人たちは太陽に向かってだけ柏手を打っているが、ずいぶん多くの人たちは次に西に向かって聖なる杵築の大社を拝む。又、少なくない人々は引き続き顔をあらゆる方角に向けて数知れぬ神々の御名を唱える。また一部の人は日の神を拝んだ後は薬師如来の寺である一畑様の方向を望む。・・・」と書いてあります。120年くらい前の松江では毎朝こんな光景が見られたと思います。120年も前の話ではないですが、私の子どもの頃に毎朝、祖父母、父母がやっていたことと似てますからその光景が目に浮かぶようです。おそらく、あの頃は今のようにこころの病が社会的に問題になるようなことはなかったと思います。

毎日家内安全で健康に過ごさせていただいていることに感謝して、今後もよろしくお守り下さいませと願いながら、神様仏様を拝むと何とも言えない心地よさを感じると思います。120年くらい前の松江の人々のようにすることは今では憚られますが、毎朝、家の神棚、仏壇に手を合わせる気持ちは大切で、心を浄化してもらえるような気がしています。

稲佐の浜 

写真は2015321日、春分の日。国譲り・国引きの神話の舞台「稲佐の浜」の夕日。

20165月6日

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